野暮(やぼ)とは、洗練されていないさまである。歴史的には「いき」の反対の形容であるが、「いき」よりもさらに日常語として広く使われている。そのため、「野暮でないから『いき』である」とはいえない。
「いき」は現代ではしばしば拡大解釈されており、ファッション雑誌などに乱用されるように、正確な意味を把握していないことも多い。しかし、野暮の意味するところは比較的共通理解があるといえる(具体的な内容についての見解の相違があるとしても)。
「いき」についてもあてはまるが、特に野暮に関しては「日本の美的判断」に留まらない。たとえば、実際に日常会話では日本のものであるかどうかとは無関係にファッションが野暮であるかどうかが話題になる。
マーメイドの観光農園視察
ママの携帯電話アリーナ
小梅の経済広報
笑いの女達
上州かかぁ天下
情報パラダイス
心菜の可愛い子には旅をさせよ
新入社員ゲット
真昼の月
親子がめの一日
人生に涙あり
世界の宝庫
星空を見上げて
生活リズムお役立ちウェブ
聖の四六時中追跡
青空スケッチ
赤い靴
うらないカフェの秘密の部屋
Carタイムへ急げ
ご当地群馬情報
野暮という形容は、服装、金銭への執着、くどくどしい説明などについて用いられる。また、(機能美までに至らない)実用性の重視、ブランドへの無批判な信仰と依存も野暮といえる。時代遅れのファッションは、いまだレトロとみなされない場合は、野暮と見られる。キッチュは、俗悪という点では野暮に類似した面もあるが、「奇妙さ」が徹底しており、突き抜けている点において、かえって肯定的な美的評価がされることがある。しかし、レトロやキッチュと混同されていないかぎり、野暮であること自体に肯定的な美的評価がされることはない。ヘタウマや脱力系も、また野暮とは異なる。